空飛ぶムッツリ仙人のはなし
むかし吉野の龍門寺で修行して、空を自由に飛べるようになった久米という名の仙人がいた。
彼が吉野の川の上空を飛んでいたとき、美しい女性が洗濯をしている場面に出くわした。
川の水で着物の裾が濡れてしまわないよう、みずから捲り上げて露わになった、その、白く輝く、女の太もも……
禁欲の仙人もさすがに目が釘付けだった。
女性の美しさに心の折れた音がした。その瞬間、
「うわぁっ!!」バシャーン
「キャーッ!!なに!?この変態!!」
久米仙人は洗濯女の目の前に落下した。
「ちょっと!あなたのせいで私、ただの人に戻ってしまったじゃないですか!責任とってくださいよ!」
彼の剣幕に押されたのか、それとも彼の顔立ちが良かったのか、久米仙人は覗き見を咎められなかったばかりか、なんと洗濯女をそのまま嫁に取ってしまった。
それからしばらくの間、「元仙人の久米」は洗濯女と幸せな日々を過ごしていたが、ある日事件は起こる。
「ねぇアイツ、なんでみんなに"仙人"なんてアダ名で呼ばれてんの?」
久米が生活のために、村の男たちに混じって土木工事に励んでいた時分、現場監督の役人に彼の奇妙なアダ名とその由来を知られてしまったのである。
「マジかよ!そんな凄いやつがいるなら、こんな仕事秒で終わらせられるじゃん!みんなと同じに材木担いでなんかいないでさぁ、法力で全部まとめて飛ばしてみせてよ!!」
冗談半分に囃し立てる現場監督。
「いやぁ〜そんな昔のこと、忘れちゃいましたよ!今はただの人間ですから、元のような力はありません」とオトナの対応をみせる久米だったが、
内心では、
『たしかに私は愛欲に負けて、道半ばで挫折した半端者だけれど……本当の仙人にはなれなかったけれど……案外、本気でやってみれば、仏様は力を貸してくださるんじゃないか?』
と思う部分があった。
そこで久米はハッキリ宣言した。
「でも、もしかしたらワンチャンあるかもしれません!」
現場監督は「こいつマジかよ」と思いつつ、
「仙人様ありがてぇ〜〜!」と大袈裟に感激してみせた。
久米はさっそく山籠りに入り、静かな道場で精進潔斎をして、食べもせず眠りもせず一心に祈りつづけた。
……何も起きないまま一週間が過ぎた。
現場監督たちは久米が姿を見せないのを、或いは笑い、或いは信じて待っていた。そんなある日の早朝、
突然に空が暗転し、
雨が降り雷が轟き、
何も見えなくなった。
しばらくして空が晴れると、
大中小の材木が何本も、ものすごい勢いで空を飛んでいくのが見えた。
「おい!あれ見ろよ!!」
「あいつだ!久米だ!久米仙人が、遂にやったんだ!!」
「「「久米仙人バンザイ!!」」」
現場監督たちは、キツい肉体労働から解放されたので、泣いて久米に感謝した。
天皇もたいそう喜んで、彼に田畑を与えた。
そうして築いた財産で、吉野にまたひとつ新たな寺が建った。
それが「久米寺」。
のちに空海を唐へ送り出したという、あの大伽藍である。
→平安時代の説話集『今昔物語集』収録のエピソード。エラい仙人が欲情して無様に落っこちるだけならただの笑い話ですが、そこから人を助けるために一生懸命努力して、失われた力を取り戻していく展開が激アツい!
とはいえやっぱり一番印象に残るのは、仙人なのに女性の太ももガン見しちゃう場面だったり笑
ケルトの『アーサー王物語』にも似たような話があって、たしか「騎士ガラハッドのご先祖は聖杯を受け継ぐ高僧だったが、巡礼に来た修道女の胸の谷間を覗き見た罪で、天から降ってきた聖槍に貫かれて絶命したというので子孫たちは"罪の王"と呼ばれている」って感じのお話(うろ覚え)なんだけど、この「欲情したら即刻死刑!」っていう厳しさに比べたら仏様はだいぶ優しいのかな…っていうのは冗談です。
個人的には、聖職者もひとりの人間であって、人を愛したり怒ったりするのはごく自然な事だと思います。
でもよく伝説の中で語られる彼らは大げさに脚色されていて、ほとんど魔法使いと言っていいくらいファンタジーな存在なので、たま〜にこういう人間臭い部分が見えると余計に面白く感じてしまうんですよね。